2010年2月15日月曜日

景観は誰のものか?

風景の美は長い間、権力も財力も教養もない庶民には無縁だった。少なくとも文人の趣味として歌枕などに定型化された風景の美は庶民には存在しないに等しかった。明治時代になっても、志賀重昂は、『日本風景論』を著して、それまで一部の趣味人に独占されていた風景の美を「万人に開かれたものにすべきだ」と主張しなければならなかった。日清日露戦争の頃にベストセラーになった同書は、しかし、国粋主義者だった志賀が西欧列強に劣らない日本の伝統文化の優秀性を風景の美に求めて民族主義を鼓吹する意図から書かれたものだ。志賀の「意図」の方は皇国史観と共鳴して見事に遂げられ、日本はファシズムに傾斜していったが、彼の「主張」は、必ずしも実現せず、後に柳田國男をして「庶民は、...大切な風景を壊して未来の幸福を失おうとしている」と言わしめる状況が形成されていった。


風景の美そのものが、定型化されたものから、生活者と文明の営みが作り出す日常的な景観にまで拡大されるには、大正デモクラシーの時代まで待たねばならなかった。しかし、この時代、柳田國男は早くも「生活者としての庶民が風景をつくる主体なのに、風景を鑑賞する意識も目もなく、まして自分たちが風景を作る力をもち、責任があるという自覚がないままでいいのか」と警告していた。

日本が経済発展と引き換えに国土を荒廃させ美しい景観を破壊するという歴史は既にこの時代から始まっていたのだ。『美しき日本の残像』で新潮学芸賞を受賞したアメリカ人で東洋文化研究者であるアレックス・カーは、「川という川を見ればダムで堰き止めねば気が済まぬ土建経済によって、日本は豊かさの中で立ち腐れてしまった」と嘆いている。古き良き伝統景観や自然環境が破壊され、日本は「世界でもっとも醜いかもしれない国土」になったと言っている。

あまりに遅きに失したというべき「景観法」が施行されたのは2005年(平成17年)のことである。「美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現」を図るとするこの法律は、面白いことに「景観」は何かという定義をしていない。

景観法制定以前の「和歌の浦景観訴訟事件判決(和歌山地裁)」(1994年)で、歴史的景観権ですら、「その内容は不明確であり、権利として成立するには未だ成熟した概念をもつものではない」として、その権利性が否定されている。また、「国立市・大学通り景観権訴訟判決(八王子地裁)」(2001年)でも、「良好な景観は何人であってもその好みに従って発見することができ、享受できるもの」として憲法13条(個人の尊重)や憲法25条(生存権)に基づく人格権的な景観権は否定された。

これまで、歴史遺産や公的に認定された建造物の保全に関しては法的根拠が認められても、少なくとも行政訴訟において、歴史的な意義が認められる景観の保全が認められることは、昨年の「鞆の浦景観訴訟(広島地裁)」で埋め立て工事の差し止め命令が出るまでは皆無であった。ある程度評価の定まった歴史的景観に対する景観権についてさえも法的根拠は必ずしも明確ではないのだから、個々人によって感じ方が異なる日常景観に対する景観権が認められないのはやむを得ないだろう。「良好な景観」に関する共通の判断なしに景観権を認めれば、特に日常景観に関しては、個々の住民がそれぞれ異なる景観権を主張して住民間に対立が生じる懸念が否定できない。

そうだとすれば、「景観法」が「景観」を定義できないのも止むを得ないだろう。千葉県県土整備部で景観法を担当している公園緑地課景観づくり推進室に、「良好な景観は誰が決めるのか?」と尋ねてみたが、「地域住民の意向を最大限尊重する」としか答えてもらえなかった。

季美の森団地を開発した東急不動産の営業マンは、「環境を買って頂きます」というセールストークを使っていたそうだ。景観は環境を構成する重要な要素だが、実際には景観そのものを所有することはできない。景観は、排除性(対価を払った人しか消費できない)と競合性(ある人が消費すると他の人は消費できない)の両方を否定する立派な「公共財」だからだ。

景観権も認められず、公共財としての景観は直接所有することもできないとしたら、良好な景観はどのようにして保全すべきなのだろうか。その点に関しては、景観法はいくつかのガイドラインを示している。

「住民は、...良好な景観の形成に関する理解を深め、良好な景観の形成に積極的な役割を果たすよう努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する良好な景観の形成に関する施策に協力しなければならない。(景観法第6条)」

「良好な景観は、...地方公共団体、事業者及び住民により、その形成に向けて一体的な取り組みがなされなければならない。(景観法第2条第4項)」

「良好な景観は、...地域住民の意向を踏まえ、...その多様な形成が図られなければならない。(景観法第2条第3項)」

「良好な景観は、...国民共通の資産として、...その整備及び保全が図られなければならない。(景観法第2条第1項)」

季美の森の住民の多くは、醜悪な都市景観を嫌って移り住んできたはずだ。「メタセコイアやケヤキやアメリカフウの美しい並木道」に魅了されて転居してきたひとも多いだろう。もしかしたら、営業マンの惹句に乗せられて、美しい景観を「購入」したつもりの住民も多いのではないか?

確かに景観は公共財だから、誰にも妨げられずに美しい景観を堪能することが可能だ。いくら消費(鑑賞)しても減らない商品(景観)を購入できたのだからお買い得だ。商品に不具合が出れば、販売者に品質保証(保全)を求めれば済むことだ。こんな風に思っているのではないか。何しろ、都市住民は消費の達人だから...

例えば、あけぼの通りのメタセコイアの並木は息を飲むほど美しい。こんなに美しい並木道は他所では見たことがない。それもそのはずで、歩道幅員が6.5mは必要とされるメタセコイアが僅かに3mしかない歩道に植えられているのだから、普通は「あり得ない」のである。メタセコイアはそもそも「円形樹形を保ちながら道路側に4.5mの下枝高の確保は難しいので、円錐樹形の収まる広い空間の緑道並木などに適する」樹種であって、実は街路樹には適さない樹種なのだ。

狭い歩道に無理やり植えられたメタセコイアの根が行き場を失い、歩道を隆起させて手押し車の高齢者の歩行の妨げとなったり、排水管を詰まらせたりしている。針葉樹なのに落葉するので、雨水桝や雨樋を詰まらせる。成長が速いのでメタセコイアが住居の南側にある場合には日照が大いに妨げられる。街路樹はメリットと同じぐらいの数のデメリットもあるのだ。

開発業者にとっては、短期間で美しい並木道が形成でき、春には新緑を、秋には紅葉を、冬には樹形を楽しめるメタセコイアは、販売上は最適な選択肢だったのだろう。今更、東急のあざとい商法を恨んでも始まらない。歩道幅員5.5mなら「高い頻度と高い技術による剪定を行えば維持可能」だが、4.5m以下では「狭い樹冠の人工樹形または刈り込み樹形に仕立てられる場合以外は不適」なのだから、3mの歩道幅員しかないあけぼの通りのメタセコイアは極めて特別な維持管理が不可欠だろう。

景観法にもある通り、私たち住民は「良好な景観の形成に関する理解を深め、良好な景観の形成に積極的な役割を果たすよう努める」と共に「地方公共団体が実施する良好な景観の形成に関する施策に協力しなければならない」し、「地域住民の(多様な)意向を踏まえ」「共通の資産として、その整備及び保全」を図っていかなければならないのだ。単なる消費者として景観を独善的に「消費」するだけでは済まないのだ。

結局のところ、良好な景観は誰か特定の個人のものではなく、コミュニティ全体で「総有」すべきものだ。良好な景観を保全するには、コミュニティの成員が互いに少しずつ譲歩することを可能にするコミュニティ運営が必要だろう。良好な景観は良好なコミュニティ形成なくしては保全できないという至極当たり前のことが求められているのだ。

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