2010年2月27日土曜日

プライバシー権とは何か?

日本の法体系にはプライバシー権(1)を明文化した根拠法がない。刑法上で名誉毀損罪と侮辱罪の隣接犯罪として扱われることもあるが、多くは民法上で不法行為か債務不履行として、損害賠償金の形で事後的に処理されている。

刑法は公序良俗を護る法で、その為に公権力が発動されるが、名誉毀損罪や侮辱罪は親告罪であり、プライバシー権侵害も同様に親告罪だとすれば、被害者が告訴しない限り検察は公訴できないので、事前の公権力による取り締まりはできないことになる。民事訴訟を起こして勝訴しても損害賠償は事後的なものだからプライバシー権侵害の完全な救済にはならない。

憲法第13条(2)を根拠とする説があるが、そもそも憲法は国家と国民の関係を規定する公法であり、私人間効力は原則としてない。従って、行政府と私人の間のプライバシー権問題には憲法が適用できたとしても私人間の問題については別途特別法が必要だという点からも根拠とするには不十分だ。

プライバシー権の定義として現在定説化されているのは、「自己情報をコントロールする権利」(3)というものだ。しかし、これはプライバシー権そのものを明確に規定しないままにその擁護のための手段と方法を自己目的化した定義に過ぎない。また、「自己情報」の定義も欠けているために、プライバシー権の拡大解釈による乱用の危険性が大きい。また、高度に発達した現在の情報化社会においては「自己情報のコントロール」は事実上不可能であり、プライバシー権の侵害は恒常的となり、法益として意味をなさない。さらに、本来もっとも擁護されるべき「不可侵私的領域」における自律権や平穏・静謐な生活を護る権利がプライバシー権に含まれないことになってしまい定義としては包括性に欠ける。

日本で最初のプライバシー権侵害裁判である三島由紀夫の『宴のあと』裁判において東京地裁が示したプライバシー権侵害を構成する4つの要件を参考にして定義すると、「プライバシー権とは、不可侵私的領域における個人情報の公開の可否や公開の程度と対象を自ら決定する権利(個人情報のコントロール)、不可侵私的領域に属する事柄についての行動や決定を自ら行う権利(自律権)、及び平穏・静謐な生活を妨げられない権利をいう」となる。

個人情報は、それ自体がプライバシー権にかかわる情報を含んでいるもの(「プライバシー権情報」)と、それ自体ではプライバシー権情報に属さない個人情報(「個人識別情報」)に大別される。プライバシー権情報は、本人の承諾なしに開示するとプライバシー権の侵害となる。個人識別情報は、その開示自体はプライバシー権侵害にはならないが、いったん不可侵私的領域に属する事柄と結び付けられると(「アンカリング」(4))、その情報全体がプライバシー権情報となる。

プライバシー権は高級な人格権だが、必ずしも生活必需品ではなく、他の基本的人権に優先するものではない。プライバシー権は円満な社会生活や正当な経済活動と調和させることが大切であり、公知の事実にはプライバシー権は認められないこと、公共の場ではプライバシー権は収縮することを理解し、常に公共の利益と比較考量する必要がある。

(青柳武彦著『個人情報「過」保護が日本を破壊する』第4章を要約)



(1) 法律上の権利としての「プライバシー権(the right to privacy)」の起源は、Samuel D. WarrenとLouis D. Brandeisが1890年にHarvard Law Review誌に掲載した"The Right to Privacy"という論文だとされている。http://groups.csail.mit.edu/mac/classes/6.805/articles/privacy/Privacy_brand_warr2.html

(2) 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」 All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

(3) "individuals want to be left alone and to exercise some control over how information about them is used" :David Flaherty(1989)

(4) 「自己情報コントロール権によれば、個人データが漏洩や盗難によって、本来の保管責任者の手から離れて放置されることは、情報主体者の自己情報コントロール権が侵されるわけだから、プライバシー権侵害となる。つまり、同説では動的なプライバシー権侵害行為がまだ存在していなくても、静的な侵害誘発状態に置かれるということ自体が、すでにプライバシー権侵害であるということになる。ところが、民法第709条の一般不法行為が成立するための一般的要件は次の四つだ。(1)加害者に故意、または過失があったこと、(2)違法な権利侵害が現実に発生したこと、(3)損害が現実に発生したこと、(4)権利侵害と損害発生の間に相当因果関係があること。少なくとも住基ネットが対象としているような基本的個人識別情報については、この不法行為理論と相容れない。この種の個人情報は、公知の事実であるからそれ自体にはプライバシー性はなく、秘匿したい事柄とアンカリング(投錨)されてはじめてプライバシー権侵害となる。つまり、個人情報が漏洩して静的な侵害誘発状態に置かれたということは、セキュリティ事故が起きたことを意味するだけだ。プライバシー権侵害行為も損害の発生もまだ起きていないのだから不法行為の要件に合致しない。」...『情報化時代のプライバシー研究』青柳武彦 (著) エヌティティ出版 (2008/4/25)

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